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名古屋高等裁判所 昭和25年(上)42号 判決 1951年4月27日

上告人 被告人 高山吉太郎

弁護人 谷忠治

検察官 片桐孝之助関与

主文

本件上告を棄却する。

理由

本件上告の趣意は弁護人谷忠治の提出した上告趣意書における記載を引用する。之に対する当裁判所の判断は次の通りである。

論旨第一点について

按ずるに譲渡とは当事者の意思による各種の権利の移転を包括総称する概念であつて社会生活上具体的には贈与、売買、交換等の諸形態を採るものであるところ原判決の挙示する各証拠によれば所説のような事実の認められることは明かなところである。然れども原判決が所説の本件米の返還を食糧管理法第九条同法施行規則第二十二条の二所定の譲渡の一形態なりと認定判示したことはその判文自体に徴し明らかに認められ又事実審としてはそれ以上右返還が所謂譲渡であることを特に説示せねばならぬこともないので原判決には所説のように漫然証拠にそわない譲渡の事実を認定した違法、証拠によらないで事実を認定した違法若くは理由にくいちがいのある違法もなく、又審理不尽の廉も認められないので論旨は之を採用しない。

論旨第二点について

原判決が右に説明したように消費貸借における目的物の返還も食糧管理法第九条同法施行規則第二十二条の二所定の譲渡にあたるものと断じたことは明らかなところである。而して貸借の中には消費貸借、使用貸借、賃貸借の区別があり、後の二者については消費貸借におけると異りその間その目的物の所有権の移転を伴わないので単に貸借というだけでは之を所説のように一率に譲渡の観念の中に包攝させることは誤りであるといわなければならないけれども消費貸借は借主が貸主から一定の金銭その他の代替物を受取り之と同種、同等、同量の物を返還することを約するによつて成立する契約(民法第五百八十七条)であり、その目的物の所有権が貸主から借主に移転し、その返還にあたつてはその目的物の所有権が借主から貸主に移転することが明らかであるので、此の返還を右のように譲渡であると断じた原判決の解釈は正当でありこの間所説のように法令の解釈を誤つた違法の廉は認められないので論旨は之を採用しない。

論旨第三点について

食糧管理法が主要食糧の供出完納前の譲渡を禁じた所以が所説のような理由にあることは明らかなところである。しかしながら所謂結果犯でない犯罪については一定の行為が結果から見て偶々右取締法規の所期するところに現実に抵触しなかつたということとその行為が右法規の規定する犯罪構成要件に該当することとは之を所説のように混同して解釈することは誤りといわなければならない。即ち右構成要件該当の行為は何れもその所期する法秩序を紊乱する危険性を持つ行為として取締の対象たるものであつて、所説は要するに本件譲渡行為が所謂危険犯たることを無視するものであり、誤つた見解といわなければならないので論旨は之を採用しない。

論旨第四点について

原判決の解釈に従えば消費貸借における貸与も亦食糧管理法第九条同法施行規則第二十二条の二所定の譲渡となることはまことに所説の通りであり、且つその解釈の正当であることも亦既になされた説示に徴して明らかである。而して消費貸借における借りること自体は所説のように違反にならないものとしてもその供出前の返還が右の譲渡にあたることは明らかである。蓋し一般的に借りたものを返えすことは社会生活上当然の行為には相違ないが、その具体的の返還が犯罪となる場合にも強行せらるべきものでないことは常識からも明かなことであり、貸主側においても場合によつてはその返還が法の保護を受けなくなるかも知れぬことは十分予知している筈のもので所論は所謂過失ある法の不知に外ならず、従つて原判決には所説のように罪とならない事実を処罰した違法の廉を認めることができないので論旨は之を採用しない。

論旨第五点について

保有米のない農家に対して主食の貸与が禁ぜられ且その配給もないならばその農家は所説のように飢餓に瀕しなければならないけれども保有米のない農家に対しては主食の配給の行われることは明らかなところであり、又被告人の部落において事実上保有米が端境期に至つて欠乏するものは二、三の小農に限られしかもそれも少量に止ることは原審における証人鈴木昌造の供述によつて明らかなところであり、且つ同証言によれば少量の稻の早刈によつてその端境期を切拔けることが出来るものと認められ又二、三小農の少量の早刈のために米の供出にさして影響のないことは右説示に徴して明らかなところであるばかりでなく、かかる事態は供出量の割当において十分調節の操作ができる余地があるので所説の貸借の慣習は論旨第三点に対してなした判断に徴し未だ必しも所説のような善隣共助のほむべき風習であるものとは認めることはできなく、(尤も現在の差し迫つた飢餓についてその当座の必要量を融通するような場合は格別であつて本件においてはその貸与量から見て右のような場合でないことは容易に推察できるのみならず、特に必要ある場合は食糧管理法施行規則第二十二条の二によつて地方長官の許可を得てこれをなし得べきことが認められている。)却つて食糧管理法の所期する法秩序を乱す虞のある危険な俗習として否定せられなけばならないものと認められ、従つてかかる誤つたしきたりに従つてなされた本件譲渡の所為が反社会性を有し、食糧管理法違反罪を構成することは明らかで、原判決には罪とならない事実を処罰した違法の廉はないので論旨は之を採用しない。

論旨第六点について

被告人が原審において所説のように本件所為はその地方における風習に従つてなされた当然のことに属し何等犯罪を構成しない旨主張したこと及び原判決が被告人の右主張に対して何等の判断をも示さなかつたことは記録上明らかなところである。しかれども右風習は論旨第五点に対する判断における説示に徴し明らかなように適法なものではなく、却つて違法な否定せられるべきものであつてかかる風習の故をもつて所説のように被告人の本件所為に違法性、反社会性を欠きその犯罪の成立を阻却すべきものとは認めることができないので、被告人の右主張を旧刑事訴訟第三百六十条第二項に所謂犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張と認めることができなく、従つて原判決が右主張に対して判断を示さなかつたことを捉えて所説のようにとがめることはできないので論旨は之を採用しない。

論旨第七点について案ずるに

本件公訴事実の中食糧管理法第三条第一項違反の点は原審において無罪の言渡がなされ該裁判の確定したことは記録上明らかである。しかるに本件公訴事実中には原審において有罪の言渡をなした食糧管理法第九条違反の事実を含み以上両者につき本件公訴の提起せられたことは記録上明らかであつて、その公訴の提起がその前者に重点をおいてなされた事実も所説のように推測しえられないこともないけれども、その点の無罪の故をもつて直ちに所説のように後者に対する公訴の提起が誤つているものとは断ずることはできなく、仮りにその公訴の提起が結果からみて若干批判の余地を存するものとするも一且公訴の提起のあつた事実については裁判所はその審判をなすの外なく所説のようにその公訴の提起の妥当なりや否やによつて或は之を認容し或は之を認容すべからざるものとなすことはできなく、ただ所説のような事情は犯情としてその量刑の上に斟酌を加えることができるのに過ぎないものというべく、従つて原判決には所説のように憲法の精神に反した違法の廉を認めることができないので論旨は之を採用しない。

よつて本件上告はその理由がないので刑事訴訟法施行法第二条旧刑事訴訟法第四百四十六条によつて之を棄却すべきものとして主文のように判決する。

(裁判長判事 山田市平 判事 茶谷勇吉 判事 小沢三朗)

弁護人谷忠次の上告趣意

論旨第一点 原判決は犯罪事実として「被告人は云々(中略)(一)伊藤辰次郎に対し粳米一俵を(二)森惠作に対し精米二斗を(三)佐藤準一に対し粳米一俵精米二斗を譲渡したものである」と認定し漫然譲渡の事実を認定し処罰して居るけれども原判決引用の各証拠によれば被告人は何等の理由なく単に譲渡したものではない夫々被告人が同年度(昭和二十一年米穀年度)に於て右伊藤外二名から右認定の数量に相当する米穀を借受け同年度内自己の産米を以て同品質、同数量の米穀を返還した事実であつて此の事実は確定不動争いなき事実である。然らば原判決が若し本件米の返還の事実を法に所謂譲渡なりと認定したとすれば其旨判示すべきであるに不拘漫然譲渡しと説示したのは証拠に副はない事実を認定した違法があるか証拠によらずして認定したか又は理由にくいちがいがあるか若しくは審理不尽の不法があり破毀を免れないものと信ず。

論旨第二点 原判決が苟も所有権の移転はすべて譲渡なりと解し消費貸借に於ける目的物の返還は所有権の移転を来すから譲渡なりと論断したりとすれば貸借の観念と譲渡の観念とを混同した誤りがある。「貸借」と「譲渡」とは根本的な差異がある「貸借」は或る物体が甲より乙に引渡され其同一物(現実に同一物であると又経済上観念上同一物であるとを問わない)が更に乙より甲へ返さるるに不拘譲渡は或る物件が甲より乙へ引渡すのみであつて返える観念がない。前者は往復を前提とし後者は往のみである。而して「貸」と「借」とは表裏であつて別個の観念ではない。貸と借が結合して貸借と云う一個の法律行為を形成して居る。全然譲渡とは其観念法律上の構成を異にして居る。若し原判決の如しとすれば消費貸借の貸も亦譲渡と解しなければならぬ。然しながら消費貸借は売買交換と異り同品質同数量のものの返還を前提とし経済観念上貸したものと同一物であるから単純な譲渡とは其性質を異にして居るが貸が譲渡にあらずとすれば借の実行である返済も亦譲渡にあらずと云わなければならぬ。原判決は斯る法理を弁えない違法がある。

論旨第三点 仮りに百歩を譲り本件弁済が譲渡なりとするも法律の取締対象である譲渡ではない法律が供出完納前の譲渡を禁止した所以のものは生産者をして米穀の供出に支障を来さしめない為めと米穀の配給統制を乱さしめない為とである。従つて斯る結果を来さしめないと適確に認めらるゝ場合(貸借に藉口するとの疑い全然なき場合)は法の取締外に属するものと云わなければならぬ。若し此の場合でも取締の対象となると云うは法の文字に拘泥した杓子定規の解釈であつて正当でない斯る解釈の下になす法の適用は誤つたものである。本件に付き之を観るに原判決引用の証拠によつて明かな如く被告人より返済を受けた伊藤外二名は被告人と近隣の同じ米の生産者であつて同一米穀年度(十一月一日より翌年十月三十一日迄)内に同一量を貸借したものであるから同年度内に於ては各自の米穀量に何等消長がなく米の供出にも配給統制にも影響がない。然らば本件は法の取締らんとする目的使命に反するものではない。原判決は譲渡と云う形のみに捉われ法の真意を把握しない誤りがある。

論旨第四点 原判決の解するところに従えば貸すことも亦即ち譲渡として本件違反を成立する。然し借りること即ち譲渡を受けることは違反とはならない。若し被告人が早く借米を返済しなかつたとしたならば被告人は処罰を免れるけれども貸したものに供出の支障を来せしめ配給の秣序を紊すことになり極めて矛盾した結果を生ずる。被告人は之を虞り返済したのである。借りた以上返済するは社会生活上の当然行為であつて何等非難すべきでない。却つて返済しないのが右の如き悪結果を生ずるのである。被告人は当然な行為として之を為したのであつて違法の認識がない違法の認識なき以上犯罪を構成しないものと信ず。原判決は罪とならざる事実を処罰した違法がある。

論旨第五点 貸借が禁ぜられ且配給なしとすれば保有米なき農家は餓死の外なし被告人の供述証人脇野農事実行組合長鈴木昌造(記録第三三〇丁以下)の証言により明らかな如く被告人は家族九人を擁し脇野部落に耕地を有する。米の収穫は十二月末か一月となり十一月より収穫期迄の端境期に於て保有米不足の為め止むを得ず借米した事実である。而して同証人の証言、証人中島美作(昭和二十年三月より二十二年七月迄須脇部落の実行組合長たりしもの)の証言其他今尾町農業会長佐藤範次郎の証言被告人の供述等本件記録を通し被告人地方に於て生産者間に米の端境期に保有米の不足せるものが余剩米のあるもの又は早刈をして収穫したものより一時融通を受くることは永年の慣習であることが看取することが出来る。本件貸借は此の慣習に従つたのみならず農業会や役場は出来る丈け多く収穫せしめ供出に支障なからしむる為め(証人中島美作の証言早刈をすれば収穫を減少する)一時的融通を従慂して居た事実よりすれば斯る慣習は主要食糧の供出と云う国家目的の為め善隣共助の風習であつて敢て悪習と目すべきでないから斯る慣習に従うことは反社会性なきものと云わなければならぬ。若し斯る慣習を処罰の対象とするならば善隣共助の良習を破壞し生産者間に恐怖を来し米穀の供出に一大支障を来すでしよう。角を矯めて牛を殺すの類である。原判決は犯罪の成立要件である行為の反社会性を看過し罪とならざる事実を処罰した違法がある。

論旨第六点 被告人は終始一貫原判決の認定する伊藤外二名には借米を返還したのである。之は当然の行為であり地方の慣習に基くもので犯罪を構成しないと主張し法律上犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したに不拘、原判決は何等之に対し判断を与うることなく漫然処罰したのは旧刑事訴訟法第三百六十条第二項の判断を示さない違法がある。蓋し行為の違法性反社会性の不存在は犯罪の成立を阻却するからたといい本件弁済が譲渡なりとするも犯罪の成立を来さないからである。原判決が此の点に言及しないのは断じて被告人の承服し得ないところである。

論旨第七点 前説明の如く被告人が米の返済を為したのは社会生活上人として当然の行為を為したに過ぎないこと。若し返済せざりし場合を想像すれは却つて貸主をして米の供出に支障を来さしめ迷惑を与える悪結果を来すこと収穫の端境期に近隣の生産者間に於て一時の融通を為すことは収穫時の遅きものをして近隣共助の良習なること(此の慣習は全国的なりと信んず)未だ嘗て斯る場合の貸借が検挙処罰を受けた例なきこと、貸した伊藤外二名は何等問擬せられた形跡なきこと等に想到すれば恐らくは本件起訴を見なかつたであろうと信んず。然るに敢て起訴あつたのは本件記録により明かな如く被告人は米穀の生産者であるに不拘不供出悪徳農家との誤解を受けたが為めである。然しながら司法裁判所の公明正大な御判決によつて無罪と確定し此の点に関する起訴の誤りであつたことが明確となつた。而して被告人が本件に付て保釈々放後は却つて一般農民の信用と同情を博し各種の委員に公選せられ其翌年には当該知事より模範優良農家として表彰せられたものである起訴官の其当時に於ける被告人の人物観は全く誤解であつたことが判明した。今日に於ては本件起訴は基本的人権の尊重と裁判の公平を使命とする我憲法の精神に反し詢に不当であつたと認めざるを得ない。然るに斯く不当なりしこと判明したに不拘原判決が此の不当の起訴を認容したのは憲法の精神に反し破毀を免れないものと信んず。

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